38年続いたの「旧、国際ジングルパーク」が


>>長崎市にある「わが国ボウリング発祥の地」の石碑<<

■「ボーリング」を日本での漢字表記すると「十柱戯」。10本のピンと呼ばれる棒をめがけてボールを転がし、ピンを倒すスポーツからきているようです

■ボーリングの発祥の地1861年文久元年) 長崎の大浦居留地に初めてのボウリング場がオープンしたとか。。(以上、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より)

■今は昔、鹿児島県民のボーリングのメッカと言えば「国際ボウル」だった。

■38年前誕生した与次郎ケ浜の「国際ボウル(現、ジャングルパークベイサイドガーデン内)」のキャッチフレーズは「向こうのレーンが霞んで見える」という言葉だっただろうか。


■遊戯施設の少ない当時の正月の遊びといえば「ボーリング」ではなかっただろうか。

■老若男女を問わず誰もが一度は、このボーリング場を訪れプレイされたのではないかと思いにふけるのも寂しいものである。

■昨今、鹿児島市内周辺では新しい若者向けの遊技場ができる半面、この種の遊園地とかボーリング場が消えて行くのも時代の流れであろうかと理由をつけた。

■平成21年9月28日、「国際ボウル(現、ジャングルパークベイサイドガーデン内)」は惜しまれつつ午後5時の時計の音を最後に38年の歴史に幕をうった。

■また、鹿児島から貴重な「ボーリング場」の一つが消滅した一日だった。

※参考出典引用掲載文・写真 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より